コミックコーナーのモニュメント

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モンテ・クリスト伯爵 感想【ネタバレを含みます】

 

 

  モンテ・クリスト伯爵ことエドモン・ダンテスによる、自分を陥れた3人の男に対する復讐の物語の感想です。

 

表情から登場人物の内面があふれ出る

モンテ・クリスト伯』自体は復讐の物語として世界的に有名な古典ですが、私はこれまで著者の名前と物語が復讐劇であることぐらいしか知りませんでした。

ふとしたきっかけから、エドモン・ダンテスの名前を知り、以前書店のコミックコーナーで見かけたことを思い出して購入し、読んでみたところ、これが面白い。

復讐のターゲットである3人の男がそれぞれエドモンを陥れた理由は、嫉妬、我欲、保身という身勝手な理由であり、エドモンは3人のせいで、恋人と、父親と、自分の青春を奪われ、無実であるにもかかわらず14年もの間幽閉されます。

復讐者側に復讐にいたる十分な動機があり、ターゲットは悪党。おまけに3人とも出世して人生を謳歌しているというわかりやすい不条理な構図。王道の復讐劇なわけですが、そのそれぞれの場面の描写がすごい。

訳も分からずに幽閉され、牢の中で希望を砕かれ、極限状態で死を望むようになるまでの過程。

師となるファリア司祭と出会い、自分が陥れられた真相を知り、知識を求める場面。その後のファリア司祭との関係と決死の脱獄劇。

脱獄後、自身を陥れた3人、自分の恋人、父親、恩人が牢獄にいる間にどうなっていたかを知ったとき。

そして入念に準備をした上で、多くのものを巻き込んだ大復讐劇。その中で揺れ動く人間模様。

その11つがとても緻密かつ、鮮やかな絵で描かれています。登場人物の顔はもちろん、着ている衣服や、背景の景色や小物にいたるまでとても綺麗で精密です。

特にすごいと思ったのが感情と心理の描写です。登場人物11人の感情の変化が、表情の描き分けでにじみ出るかのようです。単純な表情の変化というより、本当に内側から何かがにじみ出ているかのような迫力です。

目の瞳孔の大きさや瞳の色の濃さで変化をつける感情表現が特に印象に残りましたが、それ以外にも瞼の開き方、口の開き方、視線の角度、唇や口角の吊り上がり方、食いしばる歯、目の下の隈、眼球の血管、無意識に手でとる仕草、体勢の変化、影のかかり方や、涙や汗といったものまでとにかく細かく表現されています。

何が細かいかと言えば、それこそ細かい小さなコマや、1つのコマに複数人いる場面の11人、大勢の人間がいる場面のそれぞれの体勢や視線まで徹底しているということです。

さらにコマ割りで間をとる、二転三転する変化を段階的に見せるなどの手法で細かく内面の変化が表現されています。

細かくて情報量が多いのだけれど無駄がない。なぜなら、その11つにちゃんと意味があるから。絵から表現の仕方までとにかく濃い漫画に感動しました。

  

復讐者の人間性の是非

 復讐をテーマにした物語は世の中にたくさんあります。

復讐者が自他を顧みない悪魔になるか、苦悩しながらも進む人間のままの復讐者になるかは、当然作品ごとに異なるわけですが、私は前者の方が好きでした。

復讐の前提にはそれ相応の出来事があり、人間の悪意や身勝手さ、非道がまかり通る世の中に絶望し、正義や道徳といったものを信じることができなくなるからこそ、復讐という道を選ぶわけです。

復讐者を復讐に駆り立てるのは、ターゲットに対する怒りや恨みに加えて、人や人が作る社会の醜さや不完全さや、罰せられるべきものが罰せられない理不尽に対しても、怒りや恨みの感情があってしかるべきだと思います。

そう考えたときに復讐者に妙に道徳心人間性が残っていることがしっくりと来ないのです。その理由について作中で納得がいく説明や描写があるならまだしも、そもそも守るべき家族や大切なものが残っていて、それが自分の復讐心よりも大切ならばそうそう危ないことはできないはずです。

全てを失ったからこそ、情け容赦のない復讐を行う。どこまでもターゲットを追い詰める怪物になる。復讐がテーマの物語ではそういった一貫したキャラクターが好きで、この物語にもそういったものを期待していました。

モンテ・クリスト伯爵』の場合、復讐者として、悪魔になろうという側面がエドモンにはあります。奴隷となった王女エデを利用し、計略を張り巡らし、ターゲットの家族・親族を巻き込み、そそのかします。

一方で、完全に自身の人間性を殺し切れておらず、道具のはずだった王女エデを娘のように思ってしまう。自分を裏切った元恋人の涙1つであわや計画破たんの危機。自身の恩人であるモレルさんの息子の恋心がきっかけとなり、最終的にターゲットの子供は関係ないから巻き込むべきではないと思いなおします。

エドモンの人間性が前面に出ているシーンとして特に印象強いのが、息子の命乞いをするメルセデスとのやり取り。

メルセデスは復讐のターゲットの1人であるフェルナンの妻であり、エドモンの元恋人です。しかしエドモンの過去に起こった出来事の真相を知らず、エドモンの復讐の理由も自分がエドモンを裏切り、フェルナンと結婚したからだと思っていました。

エドモンと息子の決闘の前日に、息子の命乞いに来たメルセデスは真相を突き付けられ愕然とします。

あまりに醜悪な真実に愕然とし、崩れ落ちるメルセデス。しかしそれでも命乞いをやめません。

エドモンに詫び続け、自分も毎晩のように悪夢を見続け苦しんできた、今でもエドモンを愛していると縋り付くメルセデスに、エドモンの決意は揺らいでしまい、ついには決闘で彼女の息子の代わりに自分が死ぬという提案をしてしまいます。

先に書いた通り、これは私の好みからは大きく外れていて、この場面を読んだときに、エドモンのぐらつき具合に不満がありました。

しかし、このシーンではエドモンの内面の葛藤と苦悩、そして自分の中に残っていたメルセデスへの愛を否定できなくなる過程がしっかりと描かれていたのです。だから、好みではないと思いつつも、つまらないとは思いませんでした。

エドモンの提案に驚きながらも笑顔で立ち去るメルセデスと、自分が死ぬという提案をあっさり受け入れたメルセデスに愕然とするエドモン。遺言状を書こうとするエドモンとそれを破り捨てるエデのやり取りがより悲壮感を出します。

そして、翌日の決闘となるわけですが、結果は予想外の物でした。

エドモンの人間性があったからこその勝利です。悪魔になろうとしても捨てきることのできなかった愛が報われる結果となりました。

その後の場面も対比が効いています。自分の愛が報われたことに感涙するエドモンの人間の顔と、仇のフェルナンの前で名乗りを上げ、逃げ出すフェルナンに向けた悪魔の顔。

エドモンからの手紙に涙を流すメルセデスと、逃げ帰ってきたフェルナンにこれでもかというくらいの蔑みの目を向けるメルセデスとその息子。

愛があったからこそ、より完璧な復讐が成立しました。

その後の展開にも言えることですが、『モンテ・クリスト伯爵』は最初に私がイメージしていた、自身の人間性を捨てきった復讐者が冷徹な復讐をする物語ではありません。

復讐者の復讐者たる悪魔のような人間の顔と、それでも捨てきれない善性という意味での人間の顔、両方がしっかり描かれているからこそ、その両方が際立つ人間の物語でした。

それでいて、人の悪意と世の理不尽さによって絶望の底に突き落とされた人間が、歩み続け、最後に報われる物語でもあったわけです。

 悪魔の部分と人間の部分、その間を行きかう様子や葛藤が、この作品ではしっかりと描写されています。 

人間の心の不確かさや、移ろい迷うさまも描いたうえで、しっかりと筋の通った復讐者を仕上げている。それが原作通りの展開だからなのだとしても、ここまで見事に描写し、構成し、見せつけているのは森山絵凪先生の力なのでしょう。

 復讐者として悪魔になったエドモンが人間に戻ることができたのは、彼の心を助けた人たちがいたからであり、最後に引き戻したのはエデの愛です。復讐劇の終焉としても、苦難の中歩み続けた人が報われる物語としても、納得の大団円でした。

 

 

 エドモン・ダンテスが自身の復讐に大勢の人間を巻き込み、物語の終盤には自身の罪に死をもって決着をつける覚悟をしていたにも拘らず、エデのために人間に戻る決断をしたことや、その際に神や運命という言葉を使ったことには、正直原作が書かれた年代との時代・文化の違いを感じました。

 しかしそういう部分も含めて、これは善と悪、優しさと残酷さ、まっすぐで容赦のない執念と大切なものを切り捨てることのできない人情の部分、そういった人間の中の相反する面をしっかりと描いた人間の物語なのだと受け入れることができました。