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虚構推理9巻 感想【ネタバレを含みます】

 

虚構推理(9) (月刊少年マガジンコミックス)

虚構推理(9) (月刊少年マガジンコミックス)

 

  今回は琴子の高校時代のエピソード、「岩永琴子は高校生だった」と、インパクトのあるタイトルの「ギロチン三四郎」の2本立て。虚構推理9巻の感想です。

琴子の高校生時代の一幕

9巻の1話目は、琴子が高校生だった頃のお話。

 部員数・僅か2名で廃部の危機のミステリ研究部が、校内でも特殊な立ち位置にいる琴子を入部させようと画策します。

 一応、ミステリ研究部の2人は人間関係に疎い琴子のことを心配して気遣っているような描写もありますし、この回の謎解き要素として、さらに隠された事情もありました。

しかし、本人の意向を無視して、自分たちの事情と感情を一方的に押し付けて、相手の弱みに付け込んで謀略に掛けようとするのはいかがなものかと。

 もちろん琴子にコテンパンに敗北するわけですが。「幽霊もオカルトもありっていうミステリ」を認めない部長にとって、琴子は鬼門でしょう。

 「霊とか神とかまともなミステリで言うものじゃあないでしょう?」という琴子のセリフは、自嘲的であり、メタ視点的でもありますが、琴子の笑顔のおかげでくどくならず、遊び心の楽しさだけ感じることが出来ました。

 今更ですが、この話を読んで、琴子のキャラクターは名探偵ではなく、名探偵の役柄を演じている詐欺師だなと再確認しました。本当に今更ですが。

 琴子が明るく社交的に見える反面、自分の腹の内を見せない性格になった訳も納得がいきました。「知恵の神」関連の事情に巻き込まない・踏み込ませないように線引きしながらずっと暮らしてきたわけですからね。

 校庭のど真ん中で、衆人環視の真っただ中で、思いっきり怪奇現象を引き起こしても平然としていたふてぶてしさには笑いましたが。

 

ギロチン三四郎

 9巻に収録されている3(20話、21話、22)の内、後ろの2話分がこの「ギロチン三四郎」というお話になります。

 6巻で鋼人七瀬編が終わった後、7巻以降に収録されている短編、中編のエピソードの中で12を争うくらいに好きなエピソードになりました。※ちなみに争っているのは7巻収録の「主の大蛇は聞いていた」です。

 登場の時点で推定犯人、少なくとも事件に関わりのある事がわかっているイラストレーターのコウヅキこと、森野小夜子さんが、電車で乗り合わせた九郎に振り回されます。※琴子も一緒ですが寝ていました。

 漫画的な見せ方としては、小夜子さんに寄った視点で描かれています。

偶然居合わせただけのはずの相手と話していたと思ったら、どんどん話の雲行きが怪しくなり、だんだんと自分の抱えている秘密に踏み込まれて、精神的に追い詰められていく小夜子さん。そんな小夜子さんの心情にそった緊迫感のある空気が演出されています。

読者にとっては九郎と琴子の正体は今更です。しかし、片倉茶柴先生の演出と表現の妙のおかげで、小夜子さんサイドの緊迫感はしっかりと味わうことが出来ました。

長い年月を経た古い道具は、付喪神という妖怪になるという話を突然切り出し、さらに、小夜子さんの抱え込んでいる秘密を知っていることを匂わせる九郎。

なぜ知っているのかと言えば、小夜子さんが関わった事件の現場にあった付喪神「ギロチンの三四郎」に聞いたからだと、さも当然のように、かつフレンドリーな態度で話します。

 自身の秘密を暴かれる不安、九郎の得体の知れなさ、小夜子さんの感じた恐怖は推して知るべしです。

しかし、九郎側に悪意はまったくなく、完全に天然の振る舞い。

 こうして他人と話しているのを見ると、普段は琴子を諫めることの多い九郎も、だいぶズレていることがよく分かりました。

小夜子さん視点をより意識してみたり、九郎・琴子視点に意識的に寄ったり、両者の視点から離れた読者の視点で見たりすることで、話の見え方が全然違うものになり、いろいろな楽しみ方のできるお話でした。

 

眠っている琴子の鼻にフライドポテトが突っ込まれる

緊迫感のある会話の間に、九郎がファストフード店で眠り込んだ琴子の鼻に、フライドポテトを突っ込んだ話の回想や、琴子が膝枕をした体勢で、九郎の口に自然薯をすり下ろしながら流し込んだ話の回想が挟まれて、いい意味合いで混沌としていました。

いつも通りの琴子の奇行は兎も角、九郎も思い付きで凄いことをします。

安らかな寝顔の琴子の鼻にフライドポテトが突っ込まれる様子は、腹筋に対して破壊力のある絵面でした。コメディータッチのデフォルメされた絵ではなく、線の細かい綺麗な画で、フライドポテトが鼻に突っ込まれる瞬間が描写されていたので、それはそれは凄まじい衝撃がありました。

 

スリードの在処をミスリードされた話

 この「ギロチン三四郎」は、前半の導入部分の印象から「動機・犯行目的・行動の意味」等をミスリードするタイプの仕掛けかなと思いながら読み始めました。

ところが、話が進むとそれらは「考えるべき謎」として分かりやすく明示されました。

しかし、ミスリードの仕掛けはもっと別の場所に仕込まれており、そのことが作中ではっきりと説明されるまで、全く気付くことが出来ず、完全にしてやられました。

事件にかかわっている人間たちも、独特の価値観や、感性を持っていることが描写されていたので、そこに推理のヒントがあるのではと、そちらの方にばかり目がいってしまいました。

後で読み返すとセリフの言い回しに明らかな伏線があったのですが、九郎に振り回された小夜子さん同様に、物語の展開に振り回されて見落としていました。

 

ミステリーを読む時は思考が前のめりになる

ギロチンが付喪神になっているということには、「明治時代に日本で作られた」という情報が出ていたので、九郎が小夜子さんと絵の話をしていた辺りでピンと来ました。

 話の展開を先読みできたからといって、大した意味はないのですが、ミステリーを読む時は、「謎を解いてやろう」と気を張って読んでいるせいか、自然と思考が前のめりになっている自分に気が付きました。

ページをめくるたびに、新しい情報が出てくるたびに、それがどのような意味を持つか、どのように考えることが出来るか、無意識に考えながら読んでいます。

こういう感覚もミステリーの楽しい部分だと思います。

 

 

「ギロチン三四郎」はシリアスな見方も、コミカルな見方もできて、それらが入り混じった混沌とした味わいが、とても面白かったです。単にシリアスと、コミカルが入り乱れているというのとは、また違った味があります。

 小夜子さんの振り回され方に反して、琴子たちとしてはただ伝言を届けに来ただけで、彼女の罪を問うことは目的ではありませんでした。

ミステリーで刑事が犯人を見逃したりすれば興ざめですが、琴子の立場からすれば人間世界の法よりも、世の秩序の維持と、妖たちのお悩み解決が優先だというのは以前からわかりきっていることですからね。

 混沌とした味わいのある一方で、ミステリーとしての謎解き要素のみならず、人と人との関係や、それぞれの心情、九郎が琴子を起こさなかった理由まで、ジグソーパズルが完成するかのように綺麗にすっきりと収まるべきところに収まった終わり方も素敵でした。

 それまで信じてきた現実をさんざん破壊された後に、通りすがりの狸に止めを刺された小夜子さんにも笑いました。