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教国のレクエルド2巻 感想【ネタバレを含みます】


教国のレクエルド 2巻 (デジタル版Gファンタジーコミックス)

 

 魔女の襲撃事件後、「悪魔」が見えるようになってしまったアルセニオ。

 騎士としての素質を認められたサウロに負けじと、これを神の試練として乗り越えようとしますが、彼に降りかかるのは試練ではなく、人の悪意でした。

 『魔女の下僕と魔王のツノ』へと続く物語。教国のレクエルド2巻の感想です。

 

注意

 この記事は、『教国のレクエルド』だけではなく、同じ世界観を舞台とした物語である『魔女の下僕と魔王のツノ』のネタバレも含みます。ご注意ください。

 

リコ

 領主の娘・マルティナに飼われている猫・リコ。彼はただの猫ではなく、妖精・ケットシーです。

 アルセニオに付きまとっていたサラマンダーを猫パンチでぶっ飛ばしたり、威嚇して消し飛ばしたりしていましたが、それに対するアルセニオの反応も面白かったです。

 まあ、神の試練だとか、悪魔だとか思っていた相手を猫がぶっ飛ばしたら、それは驚きますよね。まさに「びっくり」という感じです。

 アルセニオの威嚇にびっくりしつつもその場にとどまっていたサラマンダーが、その直後に来たリコの威嚇で消し飛ぶのも、リコの毛が「ボッ」と膨らむ様子も面白かわいかったです。

 作中で説明のあった精霊や魔物と違い、妖精という括りがどのようなものなのかわかりませんが、トノコ信教では精霊も妖精も一緒くたで悪魔扱いです。

 同じ妖精仲間のレプラコーンの財宝の在処を知っている彼は、自分を狙う魔女を遠ざけたくて魔女を迫害するイスパニアという国を選びました。イスパニアの人間が妖精に対しても不寛容であることも、追手との争いに巻き込んで国ごと滅びても心が痛まないという理由で都合が良かったようです。

 そこまで思っていた彼でも気にかけてしまうのが、アルセニオの人徳ですね。

 ただの猫だと思っていたリコのために、炎の中に飛び込んだアルセニオ。

 アルセニオを守るために正体を晒し、自分が魔物として討たれる最後の瞬間まで彼のことを気にかけていたリコ。

 そんな2人が言葉を交わす機会もなかったことが切ないです。

 本編でサウロとは和解できましたが、リコとアルセニオが語り合える機会はもうないのですから。

 

降りかかるのは人の悪意

 トノコ信教の教えや、イスパニアの社会では、徹底的に魔女と魔物を排除することで秩序を維持しています。

 この『教国のレクエルド』でも、本編でも、あまり多くは語られていませんが、第3話や、本編72話でのイスパニアが魔物の多い土地である事の示唆や、1巻での邪悪な魔女との争いといった、トノコ信教の教えや、イスパニアの国是が、今の様になった背景はうっすらとは感じられます。

 一方で、それを悪用して人を貶める悪党もいるわけです。

 アルセニオは今まさに火刑に処される時、自分に付きまとっていた精霊・サラマンダーに、「全部お前のせいだろ」と言っていましたが、実際の所、彼を追い詰めたのは人間の悪意です。

 告発者も、拷問官も、無実であることがわかっていて陥れたのですから。

 

マルティナ

 領主の娘マルティナは、アルセニオに想いを寄せて唇を奪うも拒絶され、その事実が言いふらされて自分が笑いものにされるのではという妄想から、アルセニオを魔物の仲間として密告しました。

 彼女はその末路どころか、アルセニオを密告した場面すらもありません。※アルセニオが捕まったタイミングから考えても、物語の筋として考えても彼女が密告したのは間違いありませんが。

 彼女の視点では、アルセニオがサラマンダーを受け入れたのが火刑に処される寸前だったことはわかりません。陥れるために密告したら「本物の魔物」だったアルセニオのことは彼女の目にはどう映るのでしょうね。

 この点が気になります。悪人の末路がどうなるのかという意味で、ですが。

 元々彼女は物事を自分の都合だけで考えるという意味でも、自分を客観視できないという意味でも自己中心的な性質です。

 彼女はリコが魔物であることを知ったときに「すっかり騙されたわ。ひどい話ね」と言っていました。

 このこと自体は、イスパニア人の感性としてはむしろ普通の反応である気もしますが、そんな彼女は今回の出来事を自分の中でどの様に受け入れるのでしょうかね。

 周囲の人間に心を許していなかった上に、飼い猫と、思い人が両方とも魔物だったら、疑心暗鬼の人間不信になりそうな気もします。

 「本当の魔物」であったアルセニオを告発した彼女の行いは、イスパニアの価値観としては肯定されるものなので、被害者面で自分は正しかったと疑いもなく思うのでしょうか。

 あるいは、ただ1人、領主の娘ではなく、1人の人間として自分を見てくれたアルセニオを密告したことや、彼が本当に魔物であったという複雑な事実関係や、自身の感情を消化しきれずに、ますます歪んでいくというのも考えられます。

 いずれにしても、彼女が本当の意味で己の行いを顧みる機会はないでしょう。

 そして、そんな彼女の末路は決して明るいものではないでしょう。

 

マリオ

 役人で拷問官のマリオは、かつて自分の彼女を寝取ったサウロを陥れるために、アルセニオに悪魔崇拝者の仲間としてサウロの名前を出せと脅します。脅すだけでなく拷問しています。

 サウロが評価されていることも、騎士になるかもしれないことも気に入らず「奴の本質はクズだ。ふさわしい結末を与えてやる」と言いますが、アルセニオにサウロは自分を変えたと反論され、「クズはお前だマリオ」とまで言い返されます。

 ここで激昂するでもなく、そう言っていられるのも今の内だと笑う辺り、芯から人間が腐っています。

 悪人なりに良心の呵責があるなら、自分を正当化しようとしたり、罪の意識を誤魔化そうとしたり、もう少し違う反応がありそうなものです。

 自分は悪魔を崇めていないというアルセニオに「そんなことはどうでもいい」なんて身も蓋もないことも言っています。

 彼の末路は、火刑に処される寸前で、やけっぱちでサラマンダーを受け入れたアルセニオの炎に焼かれるというものでした。

 至近距離で爆炎を浴びています。生死は不明ですが、まず無事では済まなかったでしょう。

 アルセニオが自棄になってサラマンダーを受け入れる程まで追い込んだのはマリオです。

 悪魔崇拝者ではないとわかっていて追い詰めた結果、(トノコ信教的には)本物の悪魔の炎に焼かれることになりました。

 火刑に処すはずだった所で、逆に焼かれることになったというのも皮肉が効いています。

 何重もの意味でも因果応報・自業自得の末路でした。

 

アルセニオの「誇り(と書いて『こころ』と読む)」

 世の中の汚さにうんざりして捻くれていたサウロが、本来の真っすぐさを取り戻せたのはアルセニオの存在があってこそのことだったことが、1巻で描かれていました。落ち込んでいる時に傍にいたのもアルセニオ。

 今回は、アルセニオの方も、またサウロによって支えられていたことが描かれていました。

 アルセニオとサウロの友情や、お互いへの想いは疑いようもないものですが、やはり、細かい心の機微を読者の意表を突きつつ魅せてくれるもち先生の心理描写が素敵です。

 憧れの騎士・オルテガに騎士見習いにならないかと誘われたサウロ。

 そんな彼を見て「遠くに行ってしまう」、「元々あっち側の人間だった」等と思いながらも、それ以上にあふれてくるのが喜びの感情。

 逆境の中で頑張ってきたサウロが騎士になれるということに、感極まり涙を流し、感謝の祈りまで捧げるアルセニオ。

 人間の心は綺麗なものだけでできているわけではないことを描いた上で、当たり前の様に浮上してくるアルセニオの善性が尊いです。

 マリオの執拗な拷問に追い詰められて、精神的に限界の状況でサウロの名前を出すように迫られた場面。

 アルセニオが最後に思い留まれた理由が、サウロの命や立場を守るためではなく、「サウロをもう独りにしないため」だったのも良かったです。ここで彼が裏切ってしまえば、サウロの心がまた孤独になってしまいますからね。

 心が折れかけて、サウロは強いから自分でどうにかできるだろうとまで思いかけていた時に、彼の心を守りたいという動機が涙と一緒にこみあげてくるという描写が素晴らしいです。涙の理由も、彼のかつての孤独を思い出したことや、彼を裏切りそうになってしまったこと等、色々なものが入り乱れてそうです。

 一番意表を突かれたのが、人間のアルセニオは完全に死んだと思い込んだサウロに追い立てられて、アルセニオがイスパニアを逃げ出した後の場面。

 「サウロに信じてもらえなかった」・「サウロのことを友達だと思っていたのに裏切られた」という心境であったはずです。

 しかし、そこで、行くあてもなく、金もなく、頼れる人もいないという自分の今の境遇をかつてのサウロと重ねます。

 この状況で、なおサウロの存在を心の支えにして立ち上がります。サウロとの交流で生まれた今の自分の誇り(こころ)を手放さないという結論に至ります。

 完全に意表を突かれたにもかかわらず、アルセニオならこういう思考をするだろうということにすっきり納得ができることが凄いです。

 

物語の終わり

 教国のレクエルドは、騎士になったサウロが、アルセニオの父・カミロと会話をしている場面で終わります。

 本編を読んでいる時も少し気になった部分なのですが、アルセニオの両親が急激に老け込んだのは、やはりアルセニオが魔物になったことと、アルセニオを失ったことによる心労と見て間違いなさそうです。

 そんな状態でも、サウロに優しい言葉をかけるカミロ。カミロの打った剣でアルセニオの仇を討つというサウロに、すっかり老け込んだ顔で「君は君の人生を生きるんだ。幸せになりなさい」と諭す姿には、生々しい痛々しさを感じます。

 アルセニオは両親に早く手紙を出すべきですね。それを受け取った2人の喜ぶ顔が見たいです。トノコ信者でも、イスパニア人でも、アルセニオがアルセニオとして生きているとわかれば絶対に喜ぶでしょう。なんせアルセニオの両親なのですから。

 最後の1ページはサウロの回想する在りし日のアルセニオとサウロの一枚絵。

 これを見て思うのは「良かった」ということ。本編ありきの感想ですが、本編で2人が和解できて良かったという思いが沸き上がってきます。

 教国のレクエルドを読んだ後だと、本編での2人のやり取りがよりいっそう尊いものになりますね。ついこないだ読んだばかりの72話のキスの直後の場面などは特に。

 

 

 本編では多様性の肯定や、偏見を乗り越えることで見えてくるものについて前向きに明るい場面多めで描かれています。

 その対になる暗い部分である間違った知識を信じ込むことや、偏見といったものの怖さと、それが生み出す悲劇が描かれる物語であった教国のレクエルドは、スピンオフとして本編と切り分けられたことで、明暗がはっきり際立ちました。

 物語の終わりは、教国のレクエルド単品で考えるとバッドエンドですが、読後感としては「(本編で2人が和解できて)良かった」という思いが強いです。数日前に『魔女の下僕と魔王のツノ』の最新刊で、アルセニオとサウロが仲良くしている所を見ることができたからこそ、そう感じたのだと思います。