コミックコーナーのモニュメント

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魔女の下僕と魔王のツノ12巻 感想


魔女の下僕と魔王のツノ 12巻 (デジタル版ガンガンコミックス)

 

 

 満を持してのデート編への突入となります。魔女の下僕と魔王のツノ12巻の感想です。

 

エリックとサムと冥王の毒針

 今回はサムとサウロの初顔合わせとなりましたが、エリックの爆弾発言が全部持っていきましたね。

 性別を変える「冥王の毒針」を習得したいので、手本を見せてほしいと言うエリックに、既に使っている「花園の雫」でも同じだろと返すサム。

 それに対するエリックの言葉は「冥王の毒針ならロイドの子供を産めるかもしれないだろ」でした。

 性別を変化させる2つの魔法「花園の雫」と「冥王の毒針」の違いについては7巻の表紙裏のオマケページに載っていました。

 解除条件の違いもありますが、大きな違いは前者での変身には生殖機能がなく、後者での変身には生殖機能があるという点。

 あからさまに面白そうな伏線にワクワクしていたのですが、やはり面白い場面になりました。

 上のセリフを素面で言ってから、「あ…今すぐ生むとかじゃなくて…、将来的に選択肢のひとつとして」と照れるエリックに、全く話についていけていないサム。

 エリックとロイドが恋人になったと聞かされた瞬間の顔は、これまでの『魔女の下僕と魔王のツノ』では見たこともないタッチになっていました。笑いました。

 素面で言ってから、照れて手をパタパタ。さらに、ワンテンポ置いて、事情を知らないサムが話について来ていないことに気付き、改めて照れながら、事情を説明するエリック。

 各コマのエリックの反応と、コマ運びの間が素敵でした。かわいかったです。ごちそうさまです。大変に満足しましたとも。

 さらに冥王の毒針を習得するための修行のシーン。「風の力は時の力だ。風の精霊の力をうまく使えないとおかしな年齢になる」と面白そうな伏線までありました。

 風の魔法をうまく使えないエリックの「どうしてもそよそよする」の語感も面白かったです。

 あいかわらずこの漫画は、間の取り方や、セリフ選びに独特のセンスを感じます。

 

デート編。アルセニオとレイ。アルマとサウロ。

 今回アルセニオ/アルマが、レイやロイドとデートをしているわけですが、デートも内容もそれぞれ違う毛色のものになりました。

 

アルセニオとレイの街デート

 2人は何処かアルセニオの故郷を思い起こさせる町並みを散策中に、狐型の精霊と遭遇。

 魔物かと身構えるものの、アルセニオにしか見えなかったことで精霊と判明。

 2人の声がかぶり気味に「精霊!!」「悪魔!!」と叫び、「悪い奴なんですか?」「あ…いやわからない。ついトノコ信者のクセが…」となり、「喋った!!」「喋るんですか!?」と続きます。

 アルセニオはトノコ信者リアクションから我に返り、アルセニオ越しにしか精霊の情報がわからないレイは困惑気味の反応になり、リアクションに忙しい2人を他所に、のんびりした空気を出しつつも何を言っているのか一向にわからない精霊というテンポは良いのに絶妙にかみ合わない感じが楽しかったです。

 さりげなく、共用語なるワードも出てきました。そういえばこれまで人間同士で言語の壁にぶつかる場面がありませんでした。

 精霊に先導された2人は、異国情緒あふれるお茶屋さんへ。

 東の国リーチューのお茶を扱うという中華風のお店で、ワクワクしたり驚いたりする2人。異文化交流時の新鮮な経験をする驚きやワクワクが、楽しげに伝わってくるのもこの漫画の特徴ですね。

 ただ店主が怪しい。悪い人そうではなさそうですが、魔女でしょうか。

 表紙裏に狐のセリフの翻訳が載っていましたが、そこに狐が店主の耳元で何かしゃべっている場面が載っていないのも絶妙に怪しいです。

 レイとの街デートは、甘酸っぱくも楽しげな感じで終了。

 最初はアルセニオの天然の反応にレイがドギマギするも、最終的にはレイの方が狩猟者であるという関係は、双方の面白かわいいリアクションが見られてお得です。

 

アルマとサウロのピクニック

 アルマとサウロのデートは湖へのピクニックから湖畔の集落へ。

 8巻・9巻のTSカオス劇場(※私が個人的に命名)の時はアルマの正体に気付いているサウロと、バレていないと思っているアルマの拗れたやり取りが面白かったのですが、今回はシンプルな展開でした。

 アルマ側が自分の女の身体や、女性として扱われることに開き直っている点も大きな違いでしょうか。普通にデートしています。

 サウロがアルセニオの両親へ送る手紙の封筒を選んだりもしています。

 自分が魔物のまま、まだ生きていると両親が知ったら、余計に苦しむのではないかと迷うアルマ。「二人でいるうちに送ってやれ」というサウロの言葉も印象的でした。

 悪い結果でも支え合えるし、喜びも分かち合えるとのことでしたが、サウロの想像の中のアルセニオの両親の姿が、私が思っていたよりも年を取っていました。

 サウロの両親も魔物がらみの事件で死んでいるので、人間なんていつ死ぬかわからないという意味かもしれません。

 高齢だからという意味とは限りませんが、そういった意味を連想させる姿でした。

 サウロが想像をしたのが未来の姿だったのか、あるいはアルセニオを失った心労で老けこんでしまったのかもしれません。

 アルマは手紙を送ることにしたようですが、両親が受け取った場面も見てみたいです。

 2人のデートはイベント盛りだくさんでしたが、その割にどこか淡々としたものを感じます。そこがレイとのデートとは対照的でした。

 キスの後のサウロの吐露と、2人の反応も、もっとTSカオス劇場よりのデートを期待していた私には予想外のものでしたが、考えてみれば無理もありません。

 こうして2人肩を並べていられるだけで、奇跡みたいなものですからね。

 

アルセニオとアルマの違い

 私の中で、エリックは男でも女でもエリックである一方で、アルセニオとアルマは何処か分けて考えていました。

 肉体的・精神的な性別の変化に戸惑ったり、女性扱いされるのを恥ずかしがったりするのを見るのが面白いのですが、それはそれとして、男でも女でもエリックなエリックと違い、アルセニオとアルマには明確に違う何かを感じていました。

 これは比較対象のエリックがエリック過ぎるせいもあるのですが、使われている魔法の違いがあるのだと思います。

 上の方にも書いた通りにエリックが使っている「花園の雫」と、「冥王の毒針」には違いがあり、花園の雫が姿を変えて女性の形を作る魔法であるのに対して、冥王の毒針の方は時を巻き戻して女性として再生するというものです。※7巻の表紙裏のオマケページ参照。

 心の性別についての話は2巻の9話で少しだけ語られていましたが、そこで心への影響がないと推察されていた花園の雫と違い、冥王の毒針の方は、心身ともに女性化しているのではないでしょうか。

 つまり、意図的にそれを踏まえた描写がされているのだと思います。

 実際にサウロとレイがチェスで勝負をしている場面では、冗談交じりに勝者にキスをと振られた時に「……いいよ」とアルセニオをよく知る2人の想定外の返しをしています。

 普段の男の時や、意識して女らしくしようと思って空回りしている状態をアルセニオだと感じる一方で、男の時にはあり得ない、本人が無自覚・無意識的に女の子をやっている状態をアルマだと感じていた様です。

 アルセニオ本人がレイとのデート中に性別が変わったときの自分の感覚の違いについて話す場面もありました。

 エリックも以前「あの魔法(冥王の毒針)は強力過ぎて思考も変化しそうだから怖いんだが」と言っていました。

 つまり、現状でも十分面白いことになっているエリックですが、まだもう1回変身を残しているということですね。魔法失敗で面白いことになりそうな伏線もあったので、もう2回かもしれませんね。ワクワクが止まりません。

 

ベティの決意。アルセニオの決意。

 エリーランドには魔物も人間も治してくれる魔女がいるという噂が広まっていると聞き、顔色を変えるアルセニオ。

 ベティが有名になれば、狙われる可能性もあり、危険な魔物も来るかもしれません。疫病が運ばれる可能性もあるとエリックも指摘します。

 アルセニオの半生を考えれば、そういった危険はトラウマレベルで身に染みているでしょう。

 しかし、魔物も人間も関係なく、治せるものは治したいというのが、ベティの想い。自分の戦う力を世の中のために使おうとするサウロの影響もあった様です。

 「アタシの心が、良心が言ってるの。助ける力があるのに、それをしないのは、きっと悪いことよ」と決意の固いベティを思い留まらせようと、説得するアルセニオを逆にベティが説得する場面が素敵でした。

 正しさと優しさの権化のような性格でありながら、自身のトラウマと、大切なものを傷つけられる恐怖故に、自分の心が感じる正しくて優しい答えを選べなかったアルセニオが、ベティの正しさと優しさに共感し、決意します。

 このような場面は、優しい言葉や、綺麗ごとを並べるだけだと、それが正論でも、ひどく陳腐に見えてしまうこともあります。

 「助ける力があるのに、それをしないのは、きっと悪いことよ」という言葉も本人が使う分には覚悟ですが、他人に要求したり、一方的に巻き込んだりすれば、それは途端に欺瞞や、独善でしかなくなってしまうものでしょう。

 ベティがそうするのは自分の良心がそう言うから。アルセニオがそれを助けるのも自分の良心がそう言うから。「自分の心が、良心が言っているの」という言い回しは絶妙です。

 人物にも物語にもしっかりと筋が通っていて、素敵でした。

 

 

 過酷なはずの戦闘中でも容赦なく投入されるギャグや、モブの魔物の適当なデザインのせいで、いい加減に見えることもあるこの漫画。

 ところが、人物描写や、文化の違いどころかその背景までも匂わせる演出など、細部まで配慮して作り上げられた奥深さがあります。今巻はそれを改めて感じました。