コミックコーナーのモニュメント

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ニッケルオデオン【赤】感想


ニッケルオデオン 赤 (IKKI COMIX)

 

 道満晴明先生の短編作品集である『ニッケルオデオン【赤】』。1つの物語がわずか8ページです。

 物語ごとに世界観が違うかと思えば、つながっている話もあり、切ない話があれば、おどろおどろしい話もあり、絵がポップでかわいい、作中にやたらとマニアックな小ネタが散りばめられているなど、1つ1つの特徴を挙げるならばともかく、全体としては、説明するにも感想をまとめるのにも困る作品でした。

 

説明に困る不思議な面白さ

 読み終えたときにまず思ったのは、「面白かった」と「これは読む人を選ぶな」ということ。我ながら漠然とした感想だとは思います。

 後者の「これは読む人を選ぶな」については簡単な話で、まず短編そのもののテーマや、作品中に挟まれている小ネタが好き嫌いの分かれそうなニッチなテーマをふんだんに使っていること。

 同性愛、肉体欠損、結合した双子、ゾンビ、クトゥルフなどなど他にもいろいろ。メインのテーマとして持ってくるならそれが好きな人、苦手でない人が読むわけですが、1つの作品群に集めるのはなかなか挑戦的な試みではないでしょうか。

 ポップで可愛らしい絵柄のおかげでだいぶマイルドになっているものの、グロテスクな場面も多めです。

 おまけに1話あたりのページ数がわずか8ページで、話ごとの世界観や登場人物に関して詳しい説明などはされず、断片的な情報と雰囲気で感じ取るしかない場合がほとんどでした。

 ではなぜそれを「面白かった」と感じたのか。確かに面白かったのだけれども、それが何故だったのか少し考え込む羽目になりました。

 

「リアリティー」不在の無法地帯。

 漫画を読むときに感じる面白さにもいろいろあります。

 登場人物の性格やその生きざまに好感を持ったり、独特で壮大な世界観に飲まれたり、登場人物や作品全体を通して伝わってくる作者の感性に共感したり、もしくは驚かされるなど。絵も話作りにも文句をつけようがない、細かいところまで書き込まれ、作り込まれた作品のクォリティーそのものに感動してしまったこともありました。

 ただ自分が普段面白いと思う作品の共通点を一つ上げるなら、「リアリティー」です。

 これはやれ科学的にどうの物理的にどうのと言った意味ではなく、作品の世界観の中で食い違いがないか、登場人物の行動や思考に一貫性があるかという意味での「リアリティー」のことです。これがないと読んでいても白けてしまって面白いとは感じません。

 この作品ではそういった意味での「リアリティー」はありません。いえ、世界観の設定がいいかげんで二転三転しているというわけでも、登場人物の性格がころころ変わるわけでもなく、そもそもそういう前提が成立しないのです。

 なんせ毎回主人公が変わり、時代や世界観も変わり、物語は8ページの間に始まって終わるわけなので、世界観や主人公の性格に関して悠長に説明している暇がない。

 話の成り行きに任せながら、何となく感じ取るしかない。「リアリティー」がないというよりも、「リアリティー」がそもそも成立しないという感じでしょうか。

 では、なぜそれを面白いと感じたのか。

 逆にその「リアリティー」不在のフリーダムで突発的な展開に振り回されることに面白さを感じたのです。

 「リアリティー」を期待して読むような作品では、それを裏切られると一気に白けてしまうのですが、この作品では最初からそんなものはありません。何が起こるかわからない。おまけにすぐに何かが起こる。さしずめ無法地帯といったところでしょうか。

 いきなりマニアックなコーヒーの話が始まったかと思えば、BL(ボーイズラブ)展開になり、そこから切ない幽霊エンド。

 映画の「エイリアン」シリーズについて辛辣な批評をしていたかと思えば、ヤンデレな女の子が自分の手首を切り落としたいきさつを語りだし、そのまままさかの大告白。

 挙句の果ては人形劇の人形たちの村にクトゥルフ神話の邪神が降臨したりもします。

 こうして並べるともう意味が分かりませんね。しかし、どの話も先の読めないスリリングさがありました。

 特にお気に入りが次の2つです。

 

ヒールとスニーカー

 結合双生児の姉妹のお話。マニアックなコーヒーの話からBLにつながった回の主人公スガワラさん出演。

 体がつながっている姉妹の姉の背だけが伸びすぎて、妹がハイヒールを履かなくてはいけなくなるという妙に現実感のあるエピソードから始まり、同じ日に生まれた双子なのに出産の際の順番で姉と妹という立場が決まるのは納得がいかないという妹の主張とそれに苦笑する姉、妹のスガワラさんに対する恋心、スガワラさんの研究のテーマ、短い間にちりばめられた伏線をきれいに回収しながら最後に切ない余韻を残し、またハイヒールに話が戻ってきます。

 1つの真実が明るみに出ると今まで見てきたものが違う風に見えてくるという演出は好きです。

 おまけページの1コマでスガワラさんがオチをつけてきましたが、美しい姉妹愛に変わりはありません。

 

ぷう太の森

 人形たちの村で突然始まった惨劇。

 日常の平穏の中で起きた突然の凶行といったテーマを、動物の人形というフィルターでぼかしながら話を進めるのかなと思って読んでいたら、まさかのクトゥルフオチに度肝を抜かれました。

 「神様がぼくをじゆうにしてくれた」というぷう太の発言から、ぷう太にだけ操り棒がないことに気付き、操り棒は人間の行動を無意識に律する倫理とか、道徳心とか、あるいは社会規範のメタファーだったのではないかなどと後から考えましたが、初めて読んだ時は本当にいきなりのクトゥルフオチに全部持ってかれました。

 

 1話1話の短さゆえにたとえその話を面白く感じなくても、すぐに次の話が始まります。

 その一方で妙に余韻を残す話もあり、ポップな絵とマニアックな小ネタの独特の雰囲気の中でシリアスだったり、コミカルだったり、シリアスと見せかけてコミカルだったり、コミカルと見せかけてシリアスだったり、楽しく振り回されることのできた短編集でした。