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ゴブリンスレイヤー外伝:イヤーワン3巻 感想


ゴブリンスレイヤー外伝:イヤーワン 3巻 (デジタル版ヤングガンガンコミックス)

 

 土砂降りの雨が降り、雷鳴が轟く夜の山村で、たった1人でゴブリンの群れを迎え撃つゴブリンスレイヤー

 一方、岩喰怪虫(ロックイーター)退治のために徒党を組んだ冒険者たち。その中には岩喰怪虫に仲間の少女を殺された新人戦士の姿もあります。

 ゴブリンスレイヤー外伝:イヤーワン3巻の感想です。

 

注意

 この記事は、『ゴブリンスレイヤー外伝:イヤーワン』だけではなく、『ゴブリンスレイヤー』本編のネタバレも含みます。ご注意ください。

 

鷲の頭の短剣

 ゴブリンの数と連携に押され、倒れたゴブリンスレイヤー。ゴブリン達は彼に止めを刺そうとします。

 ゴブリンスレイヤーを足蹴にしていたゴブリンは、ゴブリンスレイヤーの頭を持ち上げ、彼に死をもたらす凶器を見せつけようとします。人間を痛めつけて喜ぶ性質を持つゴブリンらしい行動ですが、ゴブリンスレイヤーの感情が爆発する結果となりました。

 ゴブリンスレイヤーの視界に入ってきたのは、3匹がかりで巨大な棍棒をかまえるゴブリン。そして、その内の一匹が腰に差していた短剣でした。

 柄に鷲を模した装飾が施された特徴的な短剣。故郷の村がゴブリンに襲撃された夜になくなったはずの父親の形見でした。

この場面、ゴブリンスレイヤーの胸中の描写がとても良かったです。

 地に伏せるゴブリンスレイヤー。その思考を埋めるのは、逆転の方策ではなく、これまでの人生・記憶・思い出、まさに走馬燈。惨劇の夜を思い出しての「あの夜が追いついてきた」という言葉には、闘志ではなく諦観が感じられます。

 それが見覚えのある短剣を目にして一変。

 父の形見の短剣を姉に貰った日の記憶を思い出しますが、記憶の中の姉の口から出たのは「決してここを動いてはだめよ」という「あの夜」の言葉でした。

 この目の前のゴブリンがあの夜になくなった短剣を持っていることの意味に気付く瞬間の表現にぞくりと来ました。

 見覚えのある鷲の頭の短剣を目にし、記憶の中で照合。姉の笑顔と一緒に、短剣を貰った日のことを思い出すも、「目の前の短剣が示す意味」に気が付いた瞬間、記憶の中の姉が「あの夜」の姉に差し変わるという演出。

 ゴブリンスレイヤーの頭の中で答えが出た瞬間の、感情が爆発する一瞬のタイミングがはっきり伝わってくる表現でした。

 力尽き、燃え尽きてしまったかに見えたゴブリンスレイヤーの闘志が、再点火して一気に燃え上がります。火が付いた理由の説得力も、そこから湧き上がる感情の熱量の伝達力も凄いです。目の前のゴブリン達だけは殺さずには死ねません。

 

「知ったことか」、「知ったことか」、「知ったことか」、「知ったことか」

 ゴブリンスレイヤーの中で感情が爆発し、彼は一気に立ち上がり、目の前の鷲の頭の短剣を引き抜くと、それをゴブリンの一匹に突き立てます。

 極限状態で、感情が爆発した結果でてきたのが、ゴブリンスレイヤーの一番「芯」の部分です。

 ゴブリンに対する怒りはもちろん、「あの夜」に姉を助けられなかった自分や、大事の前の小事とゴブリン問題を放置していた、今なお放置している世間。

 そして、それらのそういう在り方を「仕方のないこと」と済ませてしまう考え方。

 それを認められず、受け入れられず、理屈の上では仕方のないという答えに行きついても、感情がそれを認めず、そんな理屈ではとうてい納得できず、収まらず、5年前から怒り続けている「あの日の少年」が、ゴブリンスレイヤーの芯の部分なのだと思います。

 人が1人死んでも世界は回り、村が1つ滅んでも世界は回り、どうしようもない運命や不運もあるという意味か「骰子は振られる」という表現もありました。

 頭の中に浮かぶそれら全てを「知ったことか」と薙ぎ払い、目の前のゴブリンも薙ぎ払うゴブリンスレイヤー

 全てを「知ったことか」と否定し、頭の中は激情に染まりながら、戦い方は逆にどんどん洗練されていくという矛盾。

 倒れる前の村での戦いから兆しはありましたが、ゴブリンから奪った武器を素早く持ち替えながら戦う独特のスタイルが確立された場面でした。

 ものすごい熱量で燃え上がる怒りと、冷静極まりない戦い方の矛盾。狂気じみていますが、その芯の部分にある感情は十分に共感できるものです。

 このアンバランスな様で絶妙にバランスの取れたキャラクターが、ゴブリンスレイヤーの魅力です。

 

タガが外れるということ

 本編でもたびたび使われてきた「タガが外れる」という言葉。

 ゴブリンスレイヤーを評する上で間違っていないと思いつつも、狂気に取りつかれた人間を言い表すもっと直接的な言葉を避け、マイルドに言い表すための言葉選びだと思っていました。

 しかし、15話以降のエピソードを読んで印象が変わりました。

 イヤーワン1巻での初めてのゴブリン退治の後、ゴブリンスレイヤーは、ゴブリンを殺しても「何も起きない、何も変わらない」と空虚な胸の内を独白していました。

 今回はその時とは違います。

 直接的な姉の仇・故郷の仇の群れを滅ぼし、感じるものがあった様です。

 戦闘の緊張が解けると同時に、うまく呼吸ができなくなり、嘔吐。その胸中では姉や、あの夜についての記憶が渦巻いていました。

 しかし、仇を討っても、彼は止まりませんでした。本編の時代でも彼は「ゴブリンスレイヤー」なわけですから。

 直接の仇がわからなかったり、直接の仇を相手に決着をつける機会がなかったりでゴブリンをひたすらに狩り続けたのではなく、仇を討っても止まらなかったのですね。

 「タガが外れる」という言葉はあまりにもピッタリの表現でした。

 

岩喰怪虫VS冒険者たち

 ゴブリンスレイヤーが山村で戦っているのと同じ頃、鉱山で岩喰怪虫(ロックイーター)と戦っていた大勢の冒険者たち。

 「まるで小鬼か何かが棲んでいたような薄汚く狭い横道」から大量の粘液塊(ブロブ)が湧きだすといったさりげないゴブリン被害も発生します。

 他にも事前の冒険者ギルドの予想とは異なる岩喰怪虫と粘液塊の共生関係が土壇場になってわかったり、他の白磁等級とはかけ離れた後の銀等級冒険者たちの戦いぶりだったり、大掛かりな弩砲(バリスタ)が登場したり、冒険者たちの連帯感たっぷりのクライマックスと、こちらも見応えは十分でした。

 一番のお気に入りは、新人戦士が捨て身で駆け出した場面でしょうか。

 捨て身の行動に出るまでの状況の一刻一刻の変化と、彼の心理がしっかりと描かれたからこそ魅力的な場面でした。

 岩喰怪虫の攻撃にさらされ、偶然が重なる幸運によって、九死に一生を経た新人戦士。この時、岩喰怪虫が、音や振動を感知して攻撃していることが判明し、冒険者たちは動くに動けなくなります。さらに天井には這い回る大量の粘液塊。

 そして、静まり返った状況で新人戦士の目に映ったのは、絶望した顔で天井を見上げる1人の冒険者の少女でした。

 下手に動くことはおろか、音を立てることもできない状態なのに、粘液塊の一体がゆっくりゆっくりと少女の頭上に迫っていたのですね。ここより前の場面で、天井から落ちてきた粘液塊に顔を溶かされて、それはそれは惨い死に方をした冒険者がいただけに、絶望感も一入です。

 粘液塊が少女にとびかかった瞬間、新人戦士は駆け出します。粘液塊を叩き潰しながら頭をよぎるのは、自分が岩喰怪虫退治に志願した理由。目の前で死んだ半森人の少女の笑顔と、その惨い最後でした。

 そのまま止まらず駆け出した新人戦士は大声を上げて囮になります。

 絶体絶命の目の前の少女を助けるために直前の恐怖を振り払い、そのまま一気に駆け出す新人戦士が熱いです。

 単なるやけっぱちではなく、恐怖を乗り越えて覚悟を決める過程がしっかりと描かれているからこそ、大口を開けて迫る岩喰怪虫に正面から剣を突き出す彼が最高に格好いい場面でした。彼に迫る岩喰怪虫の一枚絵も迫力が凄かったです。

 

 

 本編の黒瀬先生にも言えることですが、イヤーワンも原作由来の物語やキャラクターの魅力に加えて、栄田先生の画力や、漫画的な表現力が輝いています。今回のゴブリンスレイヤーの戦いと、岩喰怪虫戦はつくづくそう感じました。